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2026年05月29日 技術情報

化学DXの現在地とは?この10年の進展と今起こっている変化 【前編】

化学業界でも、いまやDXを進めようという動きが定着しました。ただその手応えとなると、領域によってかなり差があるのではないでしょうか。

この10年、DXを進めるため各社はMIやプロセスインフォマティクス、スマート保安など多方面に取り組み、ノウハウを蓄積してきました。とはいえ着手したのはデータの整った領域からでもあり、業界全体で見ればDXは「虫食い状」に進んできた、というのが実情です。

 

そして現在、こうして積み上げてきたものがAIの進化をはじめとした業界の外からの変化で問い直されています。
本記事では化学DXを5つの領域に分けたうえで、研究開発・プロセス・保全の3領域について、この10年で何が進んで何が進んでいないのかを見ていきます。

目次

化学業界に必要な5つのDX領域

化学業界のDXは、大きく5つの領域に整理できます。化学に固有の論点を強く含むものから、他のプロセス産業や業界全般に共通するものまで幅広い領域を含むのが特徴です。

 

 

1. 研究開発・材料開発のDX

新素材や新材料の開発をデータ駆動で加速させる、化学業界ならではの領域です。代表的な手法には、マテリアルズインフォマティクス、ラボラトリーオートメーション等が挙げられます。中央研究所では長期視点の探索が多くなる一方、事業部紐づきの開発部では数年単位の成果が求められることもあるなど、成果に対する時間の感覚は企業の中でも一様ではありません。

 

2. プロセス・生産系のDX

既に量産している化学製品の製造プロセスを最適化する領域です。代表的な技術として、プロセスインフォマティクス、AIによるプラント自動運転、デジタルツインなどが挙げられます。装置産業・連産品という化学固有の制約のもと、熟練技術者の運用保守技能をデジタル化することや、安定生産の目的から逆算して生産プロセスを作り直すことなどが中核と言えるでしょう。

 

3. 設備保全・安全管理のDX

化学プラントの保全業務と、安全管理にあたる保安業務をAI・IoTで高度化する領域です。経済産業省主導のスマート保安政策が後押しし、官民協議会を通じた業界横断の推進体制が整ってきました。他のプロセス産業と共通する論点が多い一方、化学業界では高経年化プラントの存在が他産業以上に顕著です。

 

4. サプライチェーン・需給最適化のDX

原料調達から製品供給までを、連産品制約や原油価格変動を踏まえて最適化する領域です。需要予測AIやグローバル供給ネットワークの最適化が中心となりますが、近年は最適化の要件にGHG排出量といった、従来からの要件である価格・品質・安定調達以外の要件も加味しなければならなくなっています。とはいえ化学業界は装置産業ゆえ、需要を精緻に予測してもプラントを止めにくく、価格戦略や在庫、配車計画と連動して初めて意味を成すといってよいでしょう。

 

5. 顧客接点・営業のDX

化学業界はBtoBかつ代理店経由の販売構造も多く、顧客接点のデジタル化は他業界より遅れている印象です。これまではカスタマーエクスペリエンスや技術資料・カタログのデジタル化が中心でありました。しかし化学業界では、顧客の業種や用途特性に応じた需要予測の精度を、代理店経由の技術営業や供給計画にどう活かすかという、収益構造に直結する論点こそ本丸として残されているのではないでしょうか。

 

本記事では、化学業界固有の技術・設備・人材課題が特に表れやすい「研究開発・材料開発」「プロセス・生産性」「設備保全・安全管理」の3領域に絞り、この10年の進展と業界共通の壁や現在地について深堀りします。

研究開発DXがこの10年で到達した地点

化学業界の研究開発DXは、この10年で2つの方向に進んできました。第一に、マテリアルズインフォマティクスによる材料探索の高速化が実用段階に入り、開発に必要な期間が大きく短縮されました。積水化学や東レ、ENEOSとプリファードネットワークスなどの取り組みが広く認知されています。

配合設計へのAIの使い方が広がり、用途探索や社内ナレッジ活用の生産性も上がりつつあります。三井化学、レゾナック、資生堂などが代表例でしょう。

もう1つ、ラボラトリーオートメーションも産学連携で実証段階に入りました。自律実験ラボとも呼ばれ、理化学研究所、東京大学と東京科学大学を中心とするデジタルラボラトリー研究会などが一例です。

 

一方、10年取り組んでも越えられない3つの構造課題があります。1つ目は、研究所や論文ごとに記録形式が違い、ELN(電子実験ノート)やLIMS(ラボ情報管理システム)が入っていても運用が部署単位で閉じてしまうという、データ基盤の組織横断統合の難しさです。

2つ目は、ドメイン知識とデータサイエンスの両方を理解できる、いわゆる二刀流人財の不足です。これは研究所のDXをリードすべきリーダー層の不足ということでもありますし、またせっかくデジタル環境を整備しても、これを使いこなせない人がチームにいれば、結局その人に合わせて仕事をしなければならなくなるという問題もあります。

3つ目に、研究員の評価制度や業務プロセスがDXに追随しきれず、ツールが現場に浸透しないという組織課題が残ります。

 

この10年ほど、業界は真剣に研究開発DXに取り組んではきましたが、それは戦略的に取り組んだというよりは、データの整った領域から・手を付けられる領域から取り組んだ結果としての進歩であり、領域ごとに進歩の濃淡が生まれているという印象が近いはずです。R&Dや運営管理のあり方が抜本的に変わったわけではなく、化学企業としてレベルアップしたという手応えにはまだ到達していない、というのが現在地ではないでしょうか。

 

 

プロセスDXがこの10年で到達した地点

プロセスDXのこの10年は、実証段階から常時運用フェーズへの移行という転換点で語れます。AIによるプラント自動運転が常時運用に入り、ENEOSとプリファードネットワークスの石油化学プラントが先行事例として知られています。

強化学習AIが直接制御に正式採用されはじめ、ENEOSマテリアルと横河電機の取り組みでは長期稼働での安定性も確認されました。デジタルツインによる合成樹脂プラント運転自動化も、DICと日立製作所の事例のように実装段階にあります。熟練運転員のノウハウ再現に、AI技術が一定の答えを出し始めた点が業界全体の到達地点といえるのではないでしょうか。

 

ただし先行事例の影で、業界共通の3つの壁も浮かんできています。1つ目は、化学反応の複合要因をモデル化する難しさです。データのみの学習では限界があり、現場運転員と化学工学エンジニアの物理的知見と組み合わせて初めて成立する領域が残ります。2つ目は、成功モデルの他装置や他社展開が難しい点です。センサー構成、反応条件、原料性状の違いでモデルの可搬性に限界があります。3つ目に、最後の判断は人が下す現場文化と、AIが想定外事象に対応できないケースへの不安が根強く残っています。

ここでも戦略的に進めたというよりは、データが取れる装置から・“できそう”な装置から段階的に取り組んだ結果としての到達地点と思われます。プラント運営の根本が変わったわけではなく、業界としてレベルアップしたと言い切るにはまだ早いと考えられます。

 

 

設備保全DXがこの10年で到達した地点

保全DXのこの10年の到達点は、業界横断のフレームワーク整備という共通項で語れます。経済産業省主導のスマート保安政策が定着し、官民協議会による推進体制も業界横断で機能してきました。

IoTセンサーとAIによる予知保全、予兆検知も実装段階に入り、スマートデバイスやドローンを活用した点検効率化が複数のプラントで稼働しています。ENEOSの長期ロードマップに代表されるように、保全業務の段階的自動化も業界共通の方向性として定着しつつあるのが現状です。個社の取り組みから業界横断の標準化へという流れが、10年で明確になりました。

 

一方、政策とツールが整っても業界共通の3つの壁が残っています。1つ目は、高経年化に対応コストが追いつかない構造的負担です。具体的な例として、国内エチレン生産設備の多くが2025年までに稼働40年を超え、修繕費の急増が業界全体に広がってきました。

利益率の低い基礎化学品の設備に、点検コストを浮かせるためとはいえ莫大な追加投資をする価値や体力があるのか、という問いも突き付けられています。経済安全保障の観点から国内エチレンクラッカーの減少が議論される今、設備投資判断はDX是非だけでは語れなくなっています。

2つ目は、AIが異常を検知できても、その意味を解釈し対応を判断する部分の自動化が難しいという属人性の壁です。AIが補助的に役立つ場面は増えた一方、最終判断と現場知見の継承は依然として人に依存している段階と言えるでしょう。

3つ目に、プラント従業員の29%が50歳以上、44%が45歳以上という、人材の高齢化と若手育成のスピードギャップがあります(令和2年 経済産業省調べ)。熟練の運転・保全ノウハウを若手に継承するには10年単位の現場経験と相応の人件費を要する一方、AIやIoTといった周辺技術はそれを上回るスピードで進化を続けており、人材育成と技術導入の両輪に投資を分散させざるを得ない構造が、業界全体の経営判断を難しくしています。

このように調査の結果として可視化は進んでいるものの、現場の対応が追いついていないことの裏返しでもあります。設備の経済合理性、技術の解釈と判断、人材の継承という、いずれも化学業界の根幹に同時に関わる課題が並行して進行しており、政策やツールが整っただけでは保全業務の本質的な変革に届きにくいというのが現状です。[

化学DXの今後を左右する3つの変化

ここまで化学業界DXの3領域での歩みを振り返ってきました。共通して見えてきたのは、領域ごとに進歩の濃淡が生まれる、いわば虫食い状に進歩してきたということ、しかし虫食いとはいえ着実に成果も蓄積してきたという業界実感です。一方で今、業界外で起きている変化が、その蓄積を揺さぶり始めています。これからもDXを業績改善につなげていくためには、業界外の動きを前提に置いた発想で構造を捉え直す必要があります。その構造を3つの視点から整理していきましょう。

 

 

業界の蓄積が外部の技術革新で揺らぐ構造

化学業界がこの10年で積み上げてきた取り組みの多くは、自社内でデータを整理し、モデルを設計し、知見を蓄積するという作業の延長にありました。マテリアルズインフォマティクスにせよ予知保全にせよ、自社データを精緻に作り込むことが競争力の源泉だと考えられてきたのではないでしょうか。

ところが今、その前提そのものが、業界の外で起きたAIをはじめとする技術革新によって揺さぶられつつあります。汎用的な生成AIの登場により、自前のモデルを作り込まなくてもそれらしい示唆が得られる状況が生まれ始め、これまで自社データの蓄積が支えてきた優位性が薄れかねない局面に入っています。

つまり、仮にこの10年の蓄積がない門外漢の企業であったとしても外部の技術革新次第で同等の地点に追いつけてしまう状況も生まれつつある、ということです。これは化学産業以外の企業、例えば自動車産業や電機電子産業、ライフサイエンス系の産業などにとって大きなチャンスでしょう。あるいは、中国やサウジアラビアはもちろん、他の諸外国企業の新規参入も考えられます。

これからの業績改善を考えるうえでは、もはや自社データや自前モデルだけでは不十分であり、外部の汎用技術をどう取り込み、自社の知見と掛け合わせて新たな優位性を作るかという発想が重要になります。

 

 

業界の外で起きる変化が業界を動かしてしまう現実

業界の外からの変化は、技術の話だけではありません。
技術的には可能でも事業として成立しなかった選択肢が、業界外の文脈で突然成立する可能性が常にあります。

具体的な例として、グリーンナフサが挙げられます。過去、グリーンナフサは製造コストの面から、事業としての成立は非常に難しい存在でした。しかし国際情勢の変化により、通常ナフサが高騰し、調達リスクも顕在化したことで、グリーンナフサの製造検討が急速に現実味を帯び始めています。

 

海外情勢が原料費に大きな影響を与えたり、そもそも原料が輸入できない事態に陥るなど、化学産業内部の論理では予測しにくい変化が、技術開発や経営判断の前提を覆す力を持つようになりました。

これからの業績改善には、化学産業の都合だけで投資判断や事業戦略を組み立てるのではなく、業界外の地政学・政策・市況変動などを経営判断の前提に取り込む視点が求められます。

業界外の動きをモニタリングし、事業環境の前提が変わる兆候を早期に察知する仕組みと柔軟な対応力を持つことが、次の競争力を分ける条件になるのではないでしょうか。

 


これまでの内側の論理では立ち行かない

化学業界が歩んできた10年は、各領域で確実な進歩を生み出してきました。データに基づくR&D、AIとの連携によるプラント運転、業界横断のスマート保安政策。これらは決して無駄ではなく、業界の競争力を支える基盤を作ってきたと言えるでしょう。

しかし、業界外で起きている変化が、その前提を揺さぶっています。蓄積のない会社でも追いつけるほどに発展するAIをはじめとした技術革新と、内部論理を超えた事業環境の変動。この2つの外部圧力が同時に進行するなかで、化学産業の現在地は、これまでの延長線上では捉えきれない地点にあるのが実情です。

 

10年の蓄積を否定する必要はありません。ただしそれを業績改善につなげるためには、DXを技術ツールの導入や効率化という枠で捉えず、業務プロセス、人材育成、経営判断のあり方と結び直す視点が欠かせません。生成AIで業務が代替される領域が広がる中で、どの業務を人が担い、どの判断を組織として下すのか。技術導入の話を超えて、業務と人材と経営判断を一体で再設計する取り組みが、これからの競争力を支え直す土台になります。

業界外の変化を踏まえ、化学産業はどう動くべきなのか。求められる人材像、組織のあり方、事業の進め方を、これまでの延長線で考えてよいのか。これらは、本記事の後編で踏み込んでいきます。

まとめ

化学業界DXのこの10年は、各領域に取り組みが広がり、知見も蓄積されてきました。一方で業界として、働き方や事業の進め方が抜本的に変わるレベルにはまだ到達しておらず、虫食い状に進歩してきたというのが率直な実感に近いはずです。

今、業界外で起きているさまざまな変化が、これまでの議論を揺さぶり始めています。10年の蓄積が問い直されている局面に、業界全体が立たされていると言えるのではないでしょうか。

 

後編では、化学産業においてDXが今後どのような方向性で発展していくのか、AIによる効率化が進む中で求められる人材像の変化や組織として目指すべき方向性について、掘り下げていきます。

※ 本記事は、当団体理事の見解/私見および当団体の調査内容を基に作成しております。

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一般社団法人 新技術応用推進基盤

編集部

一般社団法人 新技術応用推進基盤では、企業の経営改革、新規事業の立ち上げ、人材育成、人工知能(AI)をはじめとするデジタル技術の活用などにお役立ていただける情報発信を行っております。
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